文化資源・資料

歌枕「室の八嶋」の件(その4)

栃木市には歌枕の地がいくつかあります。
その一つが「室の八嶋」です。松尾芭蕉が「奥の細道」で最初に訪れた歌枕の地です。
「室の八嶋」は、芭蕉が訪れた江戸時代には煙は立ち上っていませんでした。しかし、平安時代後期には煙が立ち上っていました。
「袋草紙」を見てみましょう。

1袋草紙

「袋草紙」は平安時代後期の保元年間(1156年-1159年)頃に歌人であった藤原清輔が著した歌論書です。

この話は「十訓抄」にも載っています。
源経兼は、源経仲(平安後期の貴族で歌人)の子です。1098年(称徳2年)下野国司となっています。
煙で有名な「室の八嶋」を「語り給へ」と言うのですから、きっと煙が立ち上っていたことでしょう。
ところで、使者は都と下野国庁を行き来するのに東山道を使ったことと思います。
国庁を出て都へ帰る方向とは反対方向に大神神社はあります。すると、「室の八嶋」はどこにあったと考えるとよいのでしょうか。

2「室の八嶋」は?

室の八嶋の場所は、全く分かっていません。
想像するなら、旧栃木市内全体が室の八嶋であったのではないか。そう考えるとロマンが広がります。
そういえば昭和40年代頃までは、栃木市内のあちこちに湿地帯や湖沼が点在していました。
川原田村(現在の栃木市川原田町)には、「御手洗沼・だいぶち沼・ささぶち沼・天神ぶち・よしね沼・しらじ沼・けぶ川・二股沼をはじめ、無数の湧水があった。」と『栃木の水路』(栃木県文化協会発行)には書かれています。
かつての室の八嶋は、室町時代後期には堆積物により、陸地となっていったと考えられないでしょうか。
旧栃木市内には、江戸時代以降の歴史は残っていますが、それ以前の歴史については分かっていません。
室の八嶋も含め、新たな史料が出てくることを望む次第です。