文化資源・資料

歌枕「室の八嶋」の件(その1)

栃木市には歌枕の地がいくつかあります。
その一つが「室の八嶋」です。
松尾芭蕉が「奥の細道」で最初に訪れた歌枕の地です。
歌枕「室の八嶋」について考えてみました。

1 歌枕とは

歌枕は、「和歌」の中に詠まれた地名です。
しかし、ただの地名ではなく、あるイメージを想起させるものです。
「室の八嶋」を詠んだ和歌が20首以上ありますが、主な歌を挙げます。

いかでかは 思ひありとも 知らすべき
室の八嶋の 煙ならでは
– 藤原実方(『詞花和歌集』)

人を思ふ 思ひを何に たとへまし
室の八島も 名のみ也けり
– 源重之女(『続後拾遺和歌集』)

煙たつ 室の八嶋に あらぬ身は 
こがれしことぞ くやしかりける
– 大江匡房(『新拾遺和歌集』)

いかにせん 室の八島に 宿もがな 
恋の煙を 空にまがへん
– 藤原俊成(『長秋詠藻』)

暮るる夜は 衛士のたく火を それと見よ 
室の八島も 都ならねば
– 藤原定家(『新勅撰和歌集』)

歌枕の「室の八嶋」は、煙が常に立ち上っていて、それは、燃え上がる恋の炎に身を焼くというイメージがあります。

2 歌枕のイメージはどうしてできたの?

歌枕は、実際にあった出来事が、都に伝わり定着していったものと思われます。例えば、多賀城市にある「末の松山」です。

契りきな かたみに袖をしぼりつつ
末の松山 波越さじとは
清原元輔
『後拾遺和歌集』 

869年の貞観地震により、大被害が出て都にも伝わりました。

大津波が押寄せましたが、「末の松山」を津波が超えることはありませんでした。
その事実が、絶対超えることがないという例えとして伝わり、恋の永続性のイメージとして使われるようになったと思われます。
源氏物語をはじめとして、多くの和歌に詠まれています。

2011年の東日本大震災の際も、周辺の市街地では2mの浸水がありましたが、末の松山に波がかぶることはありませんでした。

事実が都に伝わり、定着して歌枕となったと考えられます。
歌枕「室の八嶋」は、常に煙が立ち上っていたという事実があったはずです。「奥の細道」の頃は、煙は立ち上っていませんでした。

では、いつ頃から煙が立ち上らなくなっていったのでしょうか。
「歌枕「室の八嶋」の件(その2)」以降からは「室の八嶋」について書かれた文章を見ていきましょう。