文化資源・資料 歌枕「室の八嶋」の件(その1) @slkajo_-.39_48.x39@8oz@oo 2025年2月9日 栃木市には歌枕の地がいくつかあります。その一つが「室の八嶋」です。松尾芭蕉が「奥の細道」で最初に訪れた歌枕の地です。歌枕「室の八嶋」について考えてみました。 1 歌枕とは 歌枕は、「和歌」の中に詠まれた地名です。しかし、ただの地名ではなく、あるイメージを想起させるものです。「室の八嶋」を詠んだ和歌が20首以上ありますが、主な歌を挙げます。いかでかは 思ひありとも 知らすべき 室の八嶋の 煙ならでは– 藤原実方(『詞花和歌集』)人を思ふ 思ひを何に たとへまし 室の八島も 名のみ也けり– 源重之女(『続後拾遺和歌集』) 煙たつ 室の八嶋に あらぬ身は こがれしことぞ くやしかりける– 大江匡房(『新拾遺和歌集』) いかにせん 室の八島に 宿もがな 恋の煙を 空にまがへん– 藤原俊成(『長秋詠藻』) 暮るる夜は 衛士のたく火を それと見よ 室の八島も 都ならねば– 藤原定家(『新勅撰和歌集』) 歌枕の「室の八嶋」は、煙が常に立ち上っていて、それは、燃え上がる恋の炎に身を焼くというイメージがあります。 2 歌枕のイメージはどうしてできたの? 歌枕は、実際にあった出来事が、都に伝わり定着していったものと思われます。例えば、多賀城市にある「末の松山」です。契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは清原元輔『後拾遺和歌集』 869年の貞観地震により、大被害が出て都にも伝わりました。大津波が押寄せましたが、「末の松山」を津波が超えることはありませんでした。その事実が、絶対超えることがないという例えとして伝わり、恋の永続性のイメージとして使われるようになったと思われます。源氏物語をはじめとして、多くの和歌に詠まれています。2011年の東日本大震災の際も、周辺の市街地では2mの浸水がありましたが、末の松山に波がかぶることはありませんでした。事実が都に伝わり、定着して歌枕となったと考えられます。歌枕「室の八嶋」は、常に煙が立ち上っていたという事実があったはずです。「奥の細道」の頃は、煙は立ち上っていませんでした。では、いつ頃から煙が立ち上らなくなっていったのでしょうか。「歌枕「室の八嶋」の件(その2)」以降からは「室の八嶋」について書かれた文章を見ていきましょう。 - HOME - NTT お寺 トロッコ 人車 女学校 文化 東電 栃木 歴史 電柱