文化資源・資料

栃木町に県庁があった頃(その3)

栃木県が栃木町で誕生して150年たちます。
栃木市にはその頃の名残が残っています。
それを10のテーマにして取り上げてみました。

5.失われた喜多川歌麿の大作「雪・月・花」
喜多川歌麿は栃木町に滞在していたと言われています。
その理由の一つに、歌麿の大作「雪・月・花」があります。

「深川の雪」「品川の月」「吉原の花」の3点からなる大作で、それぞれ大きさは異なりますが、大きいものでは横幅約3.4メートルになります。
華やかな江戸の遊郭や料亭の様子が綿密に描き込まれています。

明治12年11月23日、栃木町の定願寺で展覧書画会が開催されました。
その目録に紙本大幅「雪・月・花」善野氏蔵とあります。

その後、記録に表れるのは、明治20年になります。
パリでの売立目録が大英博物館に残されています。
あの大きな軸物はどんな楽しみ方をされたのでしょうか。
喜多川歌麿作品に多くの栃木の狂歌師が登場します。
下の「三味線を弾く女」の絵には栃木の狂歌師の名が記されています。
また、栃木には数多くの歌麿作品が残されていたと思われます。
その多くは失われてしまいました。

6.大通り(例幣使街道)中央水路左右に分かれる

江戸時代、栃木町上町(現在の万町交番付近)から下町(現在の警察署跡地)まで、大通り中央を南北に引かれて、生活用水として使用されていた水路がありました。

その水路は、明治の初め、県令(現在の県知事)の命令により、道路左右に分けられました。その時の道路普請は、夜間に及ぶこともあり、ロウソクを何十本も道路に灯して普請したと、後に古老は語っています。
明治5年には、倭町(旧中町)で、唐物屋が洋傘・帽子・シャツ類・マンテル・靴などの商いを始めました。大通りには人力車が登場するようになり、文明開化が進みました。



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