文化資源・資料

栃木町に県庁があった頃(その1)

栃木県が栃木町で誕生して150年たちます。
栃木市にはその頃の名残が残っています。
それを10のテーマにして取り上げてみました。

1.今も残る栃木県庁の面影
明治4年、合併前の旧栃木県が園部村大日堂周辺を庁地とすることを正式決定し、その後、この地に栃木県庁が設置されることになりました。
明治6年6月15日、旧栃木県と旧宇都宮県が合併し、現在の栃木県がここ栃木町に誕生しました。


本格的な県庁舎は洋風建築で明治9年に上棟されました。
周囲を囲むようにつくられた県庁堀は幅6mで、
庁舎に直接船がつけるよう巴波川に通じる漕渠も設置されました。
敷地内には、県庁員の官舎がつくられ、その一部は現在も県庁堀内の西南角地に残っています。
また、敷地内北西角地に設置されていた「遙拝所」は「神武神社」とも呼ばれ県会議事堂ともなっていたようです。

明治17年の県庁移転後、この建物は払い下げられ本市田村町の観明寺本堂として再建され現在に至っています。
現在、県庁堀北西端の住宅地内に小祠がありますが、遙拝所との関係は不明です。

2.江戸型人形山車は、江戸への憧れ

栃木町は、江戸との舟運によって成長し、商人たちが活躍しました。
明治以前は、祇園祭礼には歌舞伎を楽しむ町でした。
栃木の山車祭りは、県庁内で行われた神武祭礼を祝う付祭りとして、四台の山車、屋台が練り込だのが始まりです。
その後、明治9年の神武祭礼、明治11年の招魂社祭礼そして、縣社神明宮の祭礼に参加する町内が増え、様々な催物が楽しまれました。

栃木雑報
御祭日祝辰ノ景況
栃木町御祭ノ年々歳々盛ンヲ加ヘ諸街ノ花屋台ハ花ヲ競ヒ
四月三日ノニ県庁構内ヘンデ彼ノ遥拝所ヘ拝参スル景況
タル第一ハノ大和町四海波風静ノシ牛若ニフノ
装ヒ千金ヲ散ズルモ祭ハ吉野ト若者ノ連中東京ヨリヒ得シ
美麗ノ人形ハニハジト夕影鞍馬ノ僧正坊ヨリ鼻高クノ
スノ歌ニテク跡ハ春ニ栄行室町ノ花屋台
ナル道成寺ノ人形ヲシテ内ニハ女ボサツノ手踊ヲ安置セシハ仏氏ノ
ニ反対シテ神前ニリク彼ノノ文句ナラト月モ程
ナクノ鐘ノ中ヨリ出現セルハ桃太郎ニアル金太郎ノト
薄井ノ両人ニシテノ糸ノ所作事ハ同イサヲト神慮ニモ
叶ヘリ次ニハ河合町餅ノ出シ鼠ノカマク餅ハ数モ尽セヌ泉町
出シモニ鶏ノ鳴ク関東随一ト言ハン手踊ハ群参ノ老若男女ハテ
珍ラシト見対面ノ所作事アリ或ハノ出シ又ハ桜ノ大樹ノ出シ
ニ匂フ装ヒハ古歌ノ心ニ叶ヒヲリモ庁内ハ言フモ更ナリ
市街ハ電信柱ヲ摸擬セシニシテ開明日新ノ今日ヲ表セリ
盛ナル当地ノ景況嗚呼美ナル哉祭日ノ結構是皆土人ノ開明ニ
進歩シ平生無益ノヲ省キ一ニ国祭ニ財貨ヲ惜マル処ニシテ
シ此人心ヲ以テ百事ヲナス一事ナシ得ル事ナシ彼ノ鉄道汽車ハ
ク置キ目前至要ノ電信線ノ如キモ必成功アルシノ
財貨ヲ愛惜シテ人間ノ義務ヲ欠クモノハ吾栃木町ニアラル事
祭日ノ盛ンナルヲ見テ思フシト御神酒ノ機嫌デ筆ヲ採リアゲ
開花メカシクヲ録シテ御祭番付ノニ備フモノハ二三日
康ニ親シミ厚キ瓢箪町ニ寓居ノ某

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