次の地図を比べてください。
気になることは、以下の2点です。
1 栃木蔵の街郵便局から北に延びる道路が、「明治39年の地図」にはない。
2 「明治39年の地図」で、万町の交番から北に道路を延長すると雲龍寺にぶつかるはずが、「現在の地図」ではぶつかっていない。
まず、1について。
万町の交番から北に延びる道路は「北関門道路」と言います。
昭和4年に、東武電車が開通しますが、それに合わせて
栃木駅から、「大通り」を通って蔵の街郵便局の交差点を北に貫く交通網の整備をします。
その時に「北関門道路」がつくられました。
(栃木駅から関門橋に至る道路を「南関門道路」と言います。)
昭和になって整備された道路なので、明治39年の地図にはありません。
2について。
「北関門道路」を通す時、雲龍寺に道路がぶつかります。
そこで、雲龍寺を東に移動しました。ですから、明治39年の地図と比べて、東に移っています。
ところで、雲龍寺ってどんな寺?
文化・文政の頃から成田山不動尊を信仰する者が、栃木の町には沢山いました。
明治になってからも変わらず、
明治13年には不動尊像を勧請し、町をあげてお祝いをしました。
定願寺に一時、不動尊像を安置しましたが、
後に土地を購入し、寺院を建立し、明治23年11月25日に不動尊像を移して、成田山不動尊雲龍寺と名付けました。
「雲龍寺をたてるにあたって、もとの三講社の人の日がけ積立金七百円にくわえて講元だった大塚利平・楡井定平・小林宗平らが三百円ずつ寄附したほか有志より寄附金をつのって完成した」そうである。
(「栃木市の歴史」 日向野徳久著S41年発行)
このような建立の経過のため、この寺の維持は今でも自治会で行われています。