栃木町の女学校の三つ目は、現在の栃木県立栃木女子高等学校の前身である、栃木県下都賀郡立栃木高等女学校です。
県庁の宇都宮への移転にともない、栃木町に女学校がなかったので、栃木町待望の女学校でした。
栃木高等女学校の創立は明治34年4月22日です。
始め、現在の第二公園の場所にありました。
「栃木町全図(一部)」明治31年11月校正
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栃木県下都賀郡立栃木高等女学校の明治43年9月調べの「沿革略」に次のように述べられています。
「創立。明治三十四年四月ノ創設ニ係リ当時ハ栃木町
県社神明社境内ナル学堂ヲ以テ仮校舎ニ充テ本科生
百名裁縫専修科五十名ヲ三学級ニ編制シテ当郡長
富田嘉則校長事務取扱ヲ命セラレ同月二十二日開校
式ヲ挙行三十五年三月ニ至リ( 中略 )同年九月
新築校舎に移転セリ」
明治33年の「栃木市街之図」には、現在の地に高等女学校が記載されています。
この当時の高等女学校は4年制でした。12歳から16歳までとなっていますが、
年齢については厳格ではなく、多少幅がありました。
生徒は栃木町近郊だけではなく、足利からきている生徒もいて、高等女学校には寄宿舎がありました。
「寄宿舎ハ翌三十五年度ノ工事ニ属シ当郡長吉屋雄一熱心ニコレヲ督励セリ」と「沿革略」にあります。
吉屋雄一は、吉屋信子の父親です。