栃木県が栃木町で誕生して150年たちます。
栃木市にはその頃の名残が残っています。それを10のテーマにして取り上げてみました。
7「下野新聞社」が栃木町にて創刊
明治7年栃木県最初の新聞「杤木新誌」が栃木町の新聞社で発行され、次いで明治11年には栃木町万町の万象堂から「杤木新聞」が創刊されましたが、程なくして廃刊となりました。
現在、下野新聞ではこの「杤木新聞」を前身としています。
さらに明治12年栃木町旭町の共進社から同名の第2次「杤木新聞」が編集長田中正造らによって再刊。
明治17年になり、「足利新報」と合併して生まれた第3次「杤木新聞」が県庁とともに栃木から宇都宮に移転。
宇都宮の「下野旭新聞」を合併して「下野新聞」と改め現在に至っています。
8自由な風が吹いていた栃木
県庁のあったころ、全国各地で国会開設を目指した激しい自由民権運動がありました。
栃木町では、吹上村の新井章吾、塩田奥蔵をはじめ、田中正造など県内のみならず、各地から訪れた代言人や、知識人が演説会を開きました。
寺院や旅館(正仙寺、近龍寺、神道中教院、大和屋かな半)などで、熱い集会がもたれました。