文化資源・資料

栃木町に県庁があった頃(その2)

栃木県が栃木町で誕生して150年たちます。
栃木市にはその頃の名残が残っています。
それを10のテーマにして取り上げてみました。

3.宇大・宇高・宇女高は栃木町にあった
東京師範学校で、文明開化を指導する進歩派の考えを学んだ人たちが、栃木師範学校の先生となり、栃木町の近隣の学校の先生の育成にあたりました。
栃木町は、もともと私塾なども多く教育熱が高かったので、西洋思想や知識を受け入れる下地ができていたのです。

江戸時代末の私塾・寺子屋の数

(「栃木市の歴史」日向野徳久著より)

学校での教育は、高度なものとなり、人権意識男女平等意識、普遍的な価値観、グローバルな知識が教えられ、後の栃木町の自由民権運動、女子教育、社会事業、進歩的な商業活動につながっていきました。

栃木師範学校と栃木女学校が記載されている明治14年出板の「栃木市街之図」です。
現在の、栃木市民交流センターのある所です。
ここには、栃木医学校も記載されています。

この地で生まれた栃木師範学校が宇都宮大学教育学部の前身です。
師範学校の附属予備学校として誕生した栃木中学校が宇都宮高等学校、栃木女学校が宇都宮女子高等学校になりました。
同ブログ「栃木町に女学校が3校あった(その1)」を参照してください。

4.栃木町に医学校があった
明治の初め、栃木町には医学校もありました。
明治5年県立栃木病院が定願寺の隣地に新設され、明治9年七軒町(万町)に新築された栃木病院内に付属医学所が置かれ、明治11年4月栃木医学校と改称されました。
次の写真が、その栃木医学校です。

しかし、明治15年焼失し、6月に廃校となりました。

「文部省第八年報附録府県学事年報要略」の「栃木県年報」に「医学校沿革概略」が記載されています。
「明治九年九月栃木病院中ニ附属医学所ヲ置キ僅々十数名ノ生徒ヲ教養ス之ヲ本校ノ萌芽トス……」ではじまり、沿革の後に「職員ノ事」「生徒ノ事」「経費金ノ事」が記載されています。

廃校に関することは、「文部省第十年報附録」「栃木県年報」「専門学校」に「専門学校ハ管内県立医学校一箇アリシモ本年県会ニ於テ其費用ノ支出ヲ拒絶セシガ故ニ六月ヲ以テ本校ヲ全廃ス其他ニ専門学校ノ記載スヘキモノナシ」とのみ記載があるだけです。

その後、90年近く栃木県に医学校が置かれることはありませんでした。



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