幕末から明治にかけて、栃木町は他の地区に比べて寺子屋や私塾が多かった。
教育への意識も高かった。
師範学校も作られ、学校も明治6年に創設されました。
栃木町の女学校の二つ目は、明治8年10月10日に設立された「栃木女学校」です。
明治初年の女児の就学率の低さを憂慮した鍋島県令は「栃木県学事報告」に次のように述べている。
「尋常小学ハ略普及スト雖モ従来因襲ノ久キ女児ハ裁縫機織ノ業而巳ニテ事足レリト為シ (中略)
故ニ当庁下栃木町ニ於テ一ノ女学校ヲ設ケ其規範ヲ以テ漸次管下ニ普及セシメントス」
(日本帝国文部省年報第3【明治8年】第1冊 府県年報)
この思いにより明治8年10月10日栃木女学校は設立されました。
明治10年2月13日、栃木女学校は「模範女学校」と名称をかえました。
この栃木女学校があった所は、現在「キョクトウとちぎ蔵の街楽習館(栃木市民交流センター)」となっています。
分かりにくい方には、旧栃木第一小学校跡と言うと良いでしょうか。
明治14年の地図 を見てください。
県庁の南に、栃木師範学校と栃木女学校が並んであるのが分かります。
写真で確認すると、
栃木女学校の写真の奥に、栃木師範学校の時計台が見えます。
下にある栃木師範学校の時計台と比べてください。
栃木女学校の沿革は次の通りです。
・明治8年10月:県庁東南の地に校舎建設
・明治8年10月10日:栃木女学校生徒募集(6~14歳100人 14歳以上20名募集)
・明治10年2月13日:栃木模範女学校と改称
・明治12年7月1日:栃木県第一女子中学校と改称
・明治14年5月22日:栃木県第一中学校に合併、
栃木県第一中学校女学部と改める(明治16年 県庁移転)
・明治18年4月4日 第一中学校女学部は、栃木師範学校・中学校ともに宇都宮へ移転
(第一中学校女学部は現在の宇都宮女子高等学校)