文化資源・資料

栃木町に女学校が3校あった(その1)

幕末から明治にかけて、栃木町は他の地区に比べて
寺子屋や私塾が多かった。教育への意識も高かった。
師範学校も作られ、学校も明治6年に創設されました。

栃木町の女学校の一つ目は、栃木学校に作られた、
取り敢えず女子だけの校舎を「女学校」と呼びました。


「明治43年度 第一尋常小学校要覧」より

「同十一年一月二十二日栃木北校を廃し栃木南校に合併して、
単に栃木学校と称し、旭町神明社境内の皇典講究所跡を借受けて男生のみを収容し、南校に女生のみ収容して便宜上栃木女子校と呼べり」

期間は、明治11年から明治14年までの3年間。
場所は、定願寺の正門前南側。

栃木学校は、日惜舎から名称が変わったものです。
日惜舎の沿革は以下の通りです。 

栃木女学校で使われていた教科書


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